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茶室「豊玉庵」

茶室「豊玉庵」

玉造稲荷神社界隈は豊臣期に、大坂城内として整備された事から豊臣家や千利休のゆかりの地となりました。当神社で千利休と豊臣家ゆかりの者達が茶会を催した故事も残っています。

創祀二千年を奉祝し、平成元年春に建てられた参集殿2階に千利休居士十五世、千宗室お家元、命名の茶室「豊玉庵」がその由緒深いたたずまいを見せています。

また、徳川期の大坂城代・松平輝和侯の屋敷庭園も再現されております。

豊臣、徳川家から大坂城の鎮守神として篤い崇敬を受けた当神社は、その連がりが深く、今日に至っても豊臣家ゆかりの「だんご茶会」が秋に催されております。史料に残る玉造清水の名称や清水谷の地名からも良き水脈である事が伺えます。一方神社南側(玉造公園付近)には利休屋敷跡があったと伝えられるほか、門人の細川越中守忠興侯(三斎流)の「越中井」が現存しており、また、もう一人の門人であった古田織部正邸(織部流)の「山吹井」も存在したと「攝津名所図会大成」等に記されております。

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